こどものおいしゃさん日記

何だってこんなことになってしまったのだろう

今のうちに

最近熱心にやっている、新生児蘇生法の講習会について、昨日は機会を得て発表してきた。

京都市北部(だいたい祇園から北)を中心に医師同乗の新生児救急搬送をやらせていただいている*1。この2年間の運行記録をみると市内ならだいたい30分以内で到達している。60分あれば木津川市まで行ってるし、高速に乗れば70分で大阪市まで行ける(これは送り出し搬送だけれども)。この速度をもって、産科の先生方におかれましては当院にお電話一本頂ければあとは何とかしますと公言していたんだけれども、今後もそれでよいのかと、昨日は論じてきた。*2

これからの時代はやっぱりそれではいかんだろうと、昨日は申し上げてきた。むろんお呼びいただくのは構わないが、現在もとめられている新生児蘇生法の水準は出生後30秒刻みの評価と処置のサイクルを回し、最短60秒でボスミンの投与タイミングがやってくる。むろん確実な気道確保はそれより前だ。うちが救急車で駆けつけるのを無手でお待ちいただいては間に合いそうにない。

お産は必ずしも100%安全というわけではないということは、じわじわと人口に膾炙しつつある。「何かあるかも知れないと言うことは分かりました。覚悟します。しかしその『何か』に対する対策はどのようになさっておられますか」と、面と向かって問われる時代がじきにやってくる。それは理の当然というか、ものごとはだいたいそういう風に進むものだろうと思うし、安全神話によりかかって無手だったことのツケを盛大に払わされている実例がまだ福島で地域の皆様や関係者ご一同に多大なご苦労を強いているなかで、時代は災厄への対策に関する説明責任をさらに明確に求める方向へさらに大きく舵を切ってゆくのだろうとも思う。

残念なことだが、すべての分娩時仮死がいわゆる「適切な処置」を行えば救えるというものではない。それはこの十年あまりの臨床経験でつくづく身にしみてきた。脳性麻痺が生じたからには適切な処置がなされなかったに違いないとする、医療の現場と言うよりは法廷やその周辺でご活躍の方々が声高に論じられる議論は、私は行き過ぎだと思う。

しかし、だ。そういう一部の方々の理想とはまた違った次元で、「適切な処置」の体系が存在するものだと思う。存在しなかったら我々新生児科医や産科医は何をもって自分たちをプロフェッショナルと呼ぶのだ? 患者さんに「何かあったら」と聞かれた際に、おそらくご心配の「何か」の具体的内容はこれこれで、それに対する対策としてはこれこれを準備しています、とお答えするときの、その答えの業界的な合格水準というものがあるはずだ。

「何か」の多くを分娩時仮死が占めることだろうと思う。その分娩時仮死に対しての、これからの業界標準として、「標準的な新生児蘇生法の訓練を受けたスタッフが赤ちゃん担当として立ち会い、実際に仮死が生じた場合には迅速に蘇生法を開始いたします」という答えができればよいのだろうと思う。*3繰り返すが、それをやればすべての新生児死亡や脳性麻痺が生じなくなるというわけではない。減りはするんだろうというのがせいぜいだ。それでも、だ。「何かあったら」と聞かれて黙り込むかごまかすかしかできない、無手の状態よりは、およそ説明責任の観点から見て、大きい進歩だと思う。

面と向かって聞かれる時代までの猶予を私は5年ほどかと見ているのだが、甘いだろうか。このブログで読んだし聞いてみるってことはご勘弁いただきたいが。なにさま、まだ口に出して言われないうちに、なるだけこの日本版新生児蘇生法の講習を受けて終了登録したスタッフを増やしておきたいと思う。次の地震津波がこなういうちに、だ。

*1:市民の皆様には道を譲っていただきありがとうございます。

*2:まあ自分らが公言してきたことに関する討論は自分らの内部でやるものかもしれんがね。それをあえてお天道様のもとでやるってことにも幾ばくかの意義はあろうと思った。

*3:残念ながら一部の自然志向の施設にあっては「自然におきることなんだから何もしません。諦めてください」と答える施設もあるんだろうけど、そういう施設はできればお考えを改めていただきたい。