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こどものおいしゃさん日記

何だってこんなことになってしまったのだろう

やっぱり喧嘩見物は下品だったと反省

読書

主体性は教えられるか (筑摩選書)

主体性は教えられるか (筑摩選書)

 山形浩生さんが酷評して著者が反論していたので読んでみた。

岩田健太郎『主体性は教えられるか』:主張はわかるが無内容。 - 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Formerly supported by WindowsLiveJournal

山形浩生という方から僕の「主体性は教えられるか」に対する書評(?)に対するしぶしぶのコメント - 楽園はこちら側

 読後感は、山形さんの評にあるとおり、

うるせえ。

 この一言に尽きた。何か言いかけては半分否定し、また何か言いかけては言い訳しで、どんどん水ぶくれしていく。位相をずらして重ね合わせたら消滅するんじゃないか。読んでて内容を云々する以前に語り口にまず苛立つ。

 著者が信奉する内田樹先生も、ラカンについて言及された折、語り口が重要であると仰っておられるが、著者は読んでないんだろうか。

 あるいは芸として韜晦したり逡巡したりして見せてるんだろうか。内田もときにやるからね。でも著者のは芸としてはしつこすぎる。「シムラー!後ろ!後ろ!」ははじめだけでいい。

 それでも内容に関して言及すると、著者はまず、優秀ではあるが主体性のない研修医の指導に苦慮した経験を述べる。それを枕に、本書の大半を費やして、現状の教育では主体性は育てられないと述べる。本邦の教育は一般的に主体性を育てるものではない、医学部学生や研修医の教育も、指導医講習も例外ではないと、縷々問題を指摘する。そしてなでしこジャパンを主体性の手本と賞賛する。佐々木監督が選手に理不尽でつらい練習を課したこと、選手達に自分の頭で考えるよう要求し答えを教えなかったことがよかったのだそうだ。

 凡庸な結論だ。

 例によって凡庸、とあえて言おう。たぶん凡庸なんだろうなと思って自腹を切るのは控えてたんだが、うっかり山形さんとの喧嘩を見物に出てしまって罰が当たった。やっぱり他人の喧嘩を見物するのは下品なことだよなと思い知った。著者の感染症に関する論考は文句なく面白いと思う。でも、教育や哲学思想を語るととたんに浅くなる。いいかげん、「医学教育会の内田樹」になろうとするのは止めたらいいと思う。そう成り仰せたところであんまり苦労するほどの甲斐もないように思うし、だいいち、このままでは「感染症科の香山リカ」への道をまっしぐらに墜ちていっているだけだし。